問いかける言葉~哲学者 鷲田清一氏

2月29日の日経新聞文化面に掲載された、鷲田清一氏による「問いかける言葉」というコラム。副題は東日本大震災5年。その中から、気になる箇所を転載してみたい。

 

『強制移住地域で畑仕事を続けている男性に会ったことがある。遠からず離れねばならない土地でなぜ畑を耕すのか。それは未来のためではない。その行為が自分にとって意味があるからそうしている。社会は「答えが出せない時間」にいつまでも人をいさせてはくれない。だがそんな時間こそが大切であり、その中に佇むことに深い意味があるのではないか。私はそう問うてみたい。』

 

合理的、整合的、効率的・・・。日常においては、仕事や家事などに忙殺され(ていると感じ)、こなすことで精一杯になってしまうことがある。ハタと気付くと、まるで回し車を必死で漕ぐハムスターのようだったりして。しかも、回し車からどう降りていいのかさえ分からなくなったりする・・・。

 

そんな時こそ、一度立ち止まって考えてみたい。自分にとって意味のあることとは何か。そこに留まり、自分としっかり向き合ってみたい。今いる場所と大切な時間を味わってみたいと感じている。